JALJALな誕生日!

私はほとんど旭川空港を利用しています。

たぶん、年間50回以上飛行機に乗っていますが、航空券の価格とかいろんな事を考えて、以前は100パーセントJALだったのですが、最近はスカイマークをほとんど利用していました。

JALのチケットの場合、前もって取っていると安いのですが、私の場合は寸前に予定が変わる事が多々あって結局キャンセルして、キャンセル料を支払って正規の価格で取り直す、そんな事が頻繁にあり、寸前でも価格の安いスカイマークを使う事が覆うなっていました。

確かに、スカイマークは価格が安くてそれはいいんだけど…

いつも思う!

乗るときも乗っているときも気分は荷物!

いつも乗っていて、緊張します。

でもチケット代がと思うと、いたしかたない。
それに、その経費節約しているからこの価格なんだろうし、もちろん全然文句はない。

でも先日、妻の誕生日の日は、やっぱりJALかなと思い、少し高かったけどJALでチケットを取りました。

宿泊も日航ホテルだったので、JALJALでした。

昨日の帰りの飛行機での事ですが、私たちが大きな花を持って機内に乗り込むと

それを見たJALの客室乗務員の女性の人がきれいなお花ですねと。

私は昨日が妻の誕生日だったので友人から頂いたんですよと。

私は、その大きな花を抱えているのもなんだったんで、これどこかに置いておけますか訪ねて。

いろんな場所を探してつぶれなく置けるような場所に置いてくれて、まあそれは当たり前なんでしょうけど。

その後、いろんな人が通りすがりに、お誕生日おめでとうございますと。

おおすごい、ちゃんと情報がみんなに伝わってるんだ、なんだか特別みたいで嬉しかったです。

旭川に到着して、花を預かってくれた乗務員の女性が、扉から花を取り出して私たちに渡してくれたのですが

一緒に、これ、お誕生日のプレゼントですと、プレゼントが…。

すごく嬉しかったです。

文章ではうまく書けないのですが、すごく素敵な思いをしました。

チケットが安いからそかそう言う問題ではなく。

やっぱりJALに乗るとほっとしますね。

それにこの日は、宿泊もお台場の日航ホテルで、すごいスペシャルな思いをして最高でした、ほんとJALJALな誕生日でした。

JALは、いろんな事が言われていると思うけど、頑張ってほしいです。

私は出来るだけJALで出かけよう、そう思った瞬間でした。

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妻の誕生日、大切な仲間!

10月25日は妻の誕生日なので

今回は東京へ行って何処かのホテルでゆっくりとした時間を過ごそう。

そう考えて、いつもなら私はそういう時は必ずリッツカールトンに泊まるのだけど…

一ヶ月程前のことだったか、赤坂にあるイルカシータでお台場の日航ホテルの方と知り合うことが出来、だったら今回は日航ホテルで泊まろうと考え、カシータの高橋さんにお願いしてそのあたりをセットしてもらった。

当日、私たちが羽田空港につくと、日航ホテルのリムジンが来ていてそのままホテルへと言うなんとも贅沢なスタート

そう、そして部屋へはいってしばらくすると、お茶をお持ちしましたと。
ハイと部屋のとびらを開けて運ばれるお茶をとともに添えられているどら焼きを見てびっくり。

これは、私がブログで美味しいと書いていた浅草の亀十のどらやきである、すごい、ちゃんと見てくれている。

そして、夕方から別の部屋でディナーを食べようと案内されると

そこにはいつもの温かい仲間たちが…

その瞬間妻は泣こぼれていました。
本当、ありがとうみんな、こんな仲間に支えられてとても幸せです。
これも、私が妻の誕生日を東京で過ごしたいと、それをカシータのオーナーの高橋さんに言った事から、実現しました、ほんと感謝です。

そして、ディナーがスタート

なんと、ディナーテーブルには、ふらのって書いた瓶がディスプレイ、そうです、ふらの牛乳プリンの瓶です。

たぶん今日にために、あらかじめ用意してくれていた、すごいです。

お皿です。

この日飲んだワインです。

両側のDRCのグランエシェゾーとオーパスワンは友人が持ち込んでくれました。
真ん中のブルゴーニュは私が持ち込みました。

とても美味しかったです。
もちろん、ワインも食事もすごく美味しかったのですが、親しい仲間と飲むワインがまた美味しい。

とても幸せな一日でした。

ありがとうみんな。
信頼出来る仲間に支えられて、私たちは幸せです。

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旭川でのライヴ


すごい久しぶりでした。
数年前には富良野のプリンスホテルでチャペルコンサートがあった時には、私は毎年行ってました。
沢田聖子さんのライヴです。
しかも打上げに参加させてもらいました、ジンギスカンを食べました。

フラノデリスにも良く来てくれていて、うれしかったです。
でも数年前にはチャペルコンサートが無くなって何となくさみしいです。

懐かしい曲を沢山聴けて、それにこの日は旭川のアーリータイムスってライブハウスで行ったのですが、ここもレンガ造の100年程経っているような重みのある建物で時代を感じました。

この建物は、ずーと時間の移り変わりを見て来たんだなぁーって思ったこの建物ができた頃のこの辺りはどうだったんだろう

こうしてずーと長い年月の間存在するものもあれば、すぐに無くなってしまうものもある。

人も同じですね、私なんかは岐阜で生まれて、17年間は岐阜にいたのですがその後は大阪や東京と転々として今は富良野にいる。

もう富良野10年ですが、やっと10年と言うべき何だろう。

そんなことを感じました。

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商品開発とドゥーブルフロマージュの生い立ち

年に何回か北海道物産展があります。

その都度、私は新しい商品を考えて、それに挑戦します。

すごくうまく行く時と、あまりうまく行かない時が当然あります。

画像は、新しい作品をつくろうと考えて試作した一つです。

私はいつも新しい商品を考える時に、こう考えます。

まづ自分の中からどうしたいのかを考え、決して今売れている他社の商品を真似たものを考えようとはしません。

だから、すごくヒットする時と全然ヒットしない時があるんでしようね。

ふらの牛乳プリンを考えた時はこうでした。

その頃、牛乳の瓶に入ったプリンはもちろん存在していませんでしたけど…

ガラスの容器を使いたい、なぜなら、熱の入りがいいから

でも危なくない割れ難いガラスの容器は無いんだろうか

それも一般的な物ではなく、何か無いんだろうか….。

でもきっと何かあるはず、そう考えて、いつもその事が頭の中にあって。

ある時、チーズ工房へ行った時に今の瓶を見っけました。

そこから始まりました。

ドゥーブルフロマージュはこうでした。

あれは私が、ハワイのロイズレストランで研修していた時に作っていたチーズケーキが美味しくて

これになにかもう一つ、別の食感を合わしたら美味しいんではないだろうかと…。

いったいそれはなんだろう、でも。

そう考えて、同じ方向のチーズで行こうそう考えました。

そう、この時私が働いていたのは東京でした。

どういう訳か、昼間はフォーディージャパンというデータベースの会社でそのテクニカルサポートをして

週に2度程、ロイズレストランに行ってました。

なんでそんな事になっているのか?

実は私がロイズレストランのペストリーのシェフをやっていたのですが、どうしてもフォーディージャパンに行って

コンピュータを使ったデータベースを憶えたくて。

その頃の月川社長にこう言いました。

データベースを極めて行きたいので、転職したいと…。

なにを言い出すんだって感じですよね、でも私は真剣でした、本当に憶えたかったんですよ。

そしたら月川社長からの返事はこうでした。

お前が、そこまで言うんならわかった、でも週に2回くらい見に来て管理してくれ。

そう言ってくれました。

月川社長からは以前こうもいわれましたね、あれは何の時だったか憶えていないのですが
お前も、俺と同じように経営者になるんだろうからなと。

私は独立する事ばかりかんがえていたかどうかわかりませんが、何となくうれしかったです。

そう、話が飛びましたが、その時にドゥーブルフロマージュが生まれました。

実は最初にドゥーブルフロマージュが販売されたのは、フラノデリスでもルタオでもラテールでもなくロイズレストランでした、その後、一瞬だけ渋谷の宇田川町のハンズの坂の上がった所に今はスターバックスですがそこに以前、ソーホーズってイタリアンがあってそこで販売されていました。

その数年後、私が、三宿のラテール洋菓子店に勤務して、ラテール洋菓子店でも作りましたね。

でも名前は、ドゥーブルフロマージュではなくてドゥーブルでした。

その三宿のラテール洋菓子店の親会社がルタオをプロデュースしていた事から、ドゥーブルフロマージュはドゥーブルとして私が東京にいる頃にルタオに伝わりました。

その数年後に、私が富良野に移住してフラノデリスが出来てドゥーブルフロマージュがフラノデリスバージョンとして完成して。

その後、ルタオの人がフラノデリスに現れて、私が今度はルタオに少しだけ技術指導に行きました、懐かしいです。

そして、物産展に出すいいのがないだろうかと言う事で、フラノデリスで出していたドゥーブルフロマージュのスタイルを教えました。

それは、今までは、ルタオではお店用の物だけだったので、紙にくるんで木製の丸いワッパに入れるスタイル。

その時、実はフラノデリスはドゥーブルフロマージュで、ルタオではフロマージュドゥーブルだったんですよ、だからルタオのドゥーブルフロマージュの帯にはフロマージュドゥーブルになっていましたね。

そんな経緯がありますね。

でも、ドゥーブルフロマージュにとってルタオの存在は幸せでしたね。

こんなに有名になったんですからね。

私もうれしいです。

フラノデリスの力だけではこんなに有名にはなってませんからね。

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変な噂!

昨日の話です
私が、お店にいた時ですね。

丁度、パッケージ屋さんとの打ち合せが終わり。

次に、旭川の材料屋さんの営業の人が来ていて、まぁ、お茶でも飲もうかと

その時です。
その人から、なんだか、藤田さん、フラノデリスを売るって話があって

いろんな業者の人がそう話していますよと。
何でも、しかも大きな菓子屋さんのM社の人が買う事に決まってもう契約も終わっているってって、言ってました。

それをみんな私に聞くんですよって。

え!

なんじゃそりゃ、なんでそんな話になってるんだろうと驚き。

誰かが言ったんだろうな。
そして、みんな適当に面白く話を作り、また人に伝える。
憶測で、そうかもねって話が誰かに伝わり、気がついたらそう言ってたよって話になる。

実に面白い。

フラノデリスを私は、売ったりはしませんが….。

以前にもこんな話がありました、フラノデリスがまだ街中にある時です。

お好み焼き屋のまさ屋さんが新築で立てて移転した時の話。

商店街の人が私に、移転するんですか…って

まさ屋さんの建物に移転してって話になってますよって。

どこから来た話なのか…不明でした。

何となく誰かの憶測で誰かに伝えた物がそう言う風に真実っぽくなる。

みんな噂が好きです。

私が考えているのは、私が50才になったらお店を限りなく小さくしたい
催事も通販もやらないで、少人数がいい。

でもそれは、縮小ではなくある意味はもっと深い追求のような。
フラノデリスだけど、どっちかと言うと、藤田菓子研究所みたいな感じですかね、今よりも、何かを追求するようなお店にしたい。

小さい頃の私の夢は科学者になる事でした。
誕生日が3月14日、関係ないけどアインシュタインと同じです。
妻は10月25日でピカソと一緒らしい…。
だからあれなんだ!良く変わった絵を描いている、本人は真面目らしいけど。

そんな夢を言ってた事はあります。

フラノデリスが出来て間もなく10年になります。
そして、その私は今46才、50まで、あと4年である。

その4年だと言っても、今の4年はゆうに昔の10年以上に匹敵する感覚である。

でも、たぶん今の3年が昔の10年、そんな早いペースで世界が動いている
私は、そんな感覚です。

10年一昔ですね、3年後には全く違う考えかも….。
それに現状のフラノデリスには素敵な仲間達がたくさん頑張っていますからね。
売るわけないですしょ。

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